怪紀行大阪・飛田新地 旅館満すみ・鯛よし百番
■クラウドファンッ
ディング!!
どうも最東です。
庶民ども、汝らは『クラウドファンッディング!!』をしたことがあるかね?
ノンッ!
否!否!否村ジェーン!!(否村亜希でもいいかな♥)
募る側ではないっ、支援する側だ!つまり施す側である!(語弊餅)
すみません調子に乗りました違います企画に賛同し投資する側でごわす。
最東はチビでデブでハゲですが、実はそういうのしたことあるんです。今使っているカードケースがそれです。シャッとするとシュッとカードが出て来て便利。(マネークリップもついていて気分はITベンチャー!(語弊餅※くるみ味噌))
そして今回あたいが支援したのは、大阪西成区飛田新地のランドマーク、鯛よし百番の修復でございまする~★
鯛よし百番は飛田新地が飛田遊郭だった大正時代からある、もと遊廓の妓楼だった建物です。
現在は鯛茶漬けが自慢の料亭として営業しており、ちょっとした観光スポットとしても有名となっています。
鯛よし百番の特徴はなんといっても、遊廓当時の様々な意匠が今もまだ残っていることです。当時の絵師が描いた屏風、欄間の彫刻、趣向を凝らしたユニークな部屋など、鯛よし百番の魅力は枚挙にいとまがありません。
しかし、いくら今も現役の建物と言っても時間の流れには敵いません。経年劣化による傷みで節々でガタがきているのが現状です。
そこでクラウドファンッディング!!で修復費を調達しちゃおうってスンポーよ!
そういうわけで最東もどかーんと5マムエム突っ込んでやったぜえ!
そうして、返礼品が鯛よし百番の写真集と3000円分の食事券、それに飛田新地の中にある廃旅館満すみの見学ツアー!
実は最東、この見学ツアーが本命でクラウドファンッディング!!をしたってスンポー(2度目)なのよ!
■飛田新地の歩み
飛田遊郭の前身となった難波新地が全焼し(ミナミの大火)、これにより多くの楼主が移転を余儀なくされ現在の地に落ち着いた。一部を除き、戦火を免れたこともあり昭和初期には200軒を超える巨大遊廓として名を馳せました。
その後1958年に売春防止法、いわゆる売防法が施行され売春が一斉に禁止されてからは飛田料理組合が発足し、飛田新地と名を変えました。
これが現在まで続く飛田新地の背景です。
満すみもおそらく、百番が建ったころに存在した妓楼だと思います。余談ですが、かの昭和の大悪女、阿部定も一時期飛田新地に籍を置いていたそうな。
それが現在は大型の駐車場になっている場所に建っていた『御園楼』。当時は飛田でも屈指の巨大妓楼だったようです。
大阪には五つの新地があり、飛田、松島、信太山、今里、滝井の名を冠しています。その中でも松島新地がオバケ遊廓と呼ばれるほど、関西随一の大きさを誇る遊里でした。
それがミナミの大火で追われた飛田遊郭の登場で、関西遊廓の二大巨頭となります。
飛田遊郭は移転組だとはいえ、新参者。なぜに帝王松島に追随できたのかというと飛田はいちはやく時代のトレンドを取り入れたことが大きいでしょう。
大正時代といえば、大正ロマン大正モダンを言われるほど西洋の文化が多く流入してきていた時期。遊郭においてもそれは同じで、カフェー式が登場しました。
飛田はそれに目をつけ、最新トレンドを取り入れた遊廓となりました。その結果、松島遊郭を猛追し、空襲で松島が焼けたことが命運を分けることとなります。
戦後、松島は場所を移し、規模も半分以下に縮小した。そうして飛田新地の天下が訪れたのです。
飛田新地は今でも約200軒の料亭が軒を連ねています。松島は首位を譲りましたが、飛田に次ぐ規模の新地としてこちらもまた有名。ですが、実際飛田は知っていても松島を知らない人は多いでしょう。
それどころか新地と呼ばれる現代の遊里がほかにもさらに3つ、府外には2つもあることを知る人はもっと少ない。
■旅館満すみ
前項で述べた通り、カフェーなどのトレンドを有した飛田遊郭。廃屋として現在も飛田新地に佇んでいる旅館満すみにもカフェーの名残があります。
遊廓建築は全国にあれど、しっかりと保存されているところとそうでないところがあります。満すみは経年劣化こそあれど、放置されていたわけではありません。
都度、復活を夢見ながら幾度となく手が入れられようとしていました。
結果としてそれは叶わなかったわけですが、現在もこうして見学ツアーが組まれるほどには需要があるといえるでしょう。
中を歩いてみると、当時を思わせるものがたくさん残されています。
おっと……当時、といっても営業していたころを当時としていますので大正時代のことではありません。
詳しくは聞いていませんが、残されていた品々から察するにおそらくは昭和33年……つまり、売防法が施行されるまでは営業していたのではと思います。
鯛よし百番は前述したように現在も料亭に転業(本当の料亭)しましたが、満すみは転業できずにそのまま廃業となったようです。
カフェーのたたずまいがそのまま残されていたり、名札があったりと営業時のまま遺されているのがそれを物語っているように思います。(のちに再現したのかもしれませんが)
こういう場所にくると毎度想像しますが、ここは昔、確かに男たちの宵の遊び場でした。
色欲が渦巻き、ひと時の夢を味わえる場所。
しかし、主のいなくなった後、永い時間をかけて朽ちていく。当時の隆盛よりも、あの頃はよかったと思いながら死を待つその姿に私は美を感じてしまいます。
遊里よ、永遠に。
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